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【年表】テープリライト
■1950(昭和25)年
東京通信工業(現:ソニー)がオープンリール式テープレコーダーG型発表
■1951(昭和26)年
浦和市(現:さいたま市)で、且ハ言堂・橋鐵雄氏(1899〜1987)がG型1号機・2号機を購入。埼玉県議会を録音してカナタイプ―モノタイプで速記録を作成。続いてレコーダーの3ヘッド化、フットスイッチ、マイクセレクターの自作等を行う。
■1956(昭和31)年
藤村勝巳氏(1929〜)が連合通信社デスクとして、大阪からの電話送稿を東京で復唱録音、テープ起こしを行う。
■1963(昭和38)年
2月、速記者・渡辺博史氏(1930〜)が東京・神田で事務所(個人事業)設立。その後1965(昭和40)年に「鋸^音速記」となる。
■1965(昭和40)年
龍岡博氏(1922〜2003、のち潟潟bプス社長)が日本記録協会を設立。地方議会への録音指導と普及を図る。
■1965(昭和40)年
フィリップス社が互換性厳守を条件にカセットテープのパテントを全世界に無償公開。翌1966(昭和41)年にはソニーがコンパクトカセットレコーダー「TC-100」を発売。
■1967(昭和42)年
渡辺氏、龍岡氏とともにソニー101型(オープンリール式)を使用した「録音速記教室」を東京・神田で開講。
■1970(昭和45)年
12月、鋸^音速記を改組して株式会社とする。その後1972(昭和47)年には藤村氏が釜^音速記に参加。
■1973(昭和48)年
藤村勝巳著『録音テープ起こし入門/符号のいらない速記術』刊行。ソニーが販促用として2万部を買い上げ。初めて「テープ起こし」の呼称を用いる。
■1974(昭和49)年
この頃から「録速論争」激化。速記者団体は「チョウチョトンボが鳥ならば、録音速記も鳥のうち」と速記不要論に抵抗。
■1978(昭和53)年
日本語ワードプロセッサーの出現。東芝が「JW-10」を発売し、龍岡氏が初めて導入。トランスクライバー(ソニーBM-76など)の普及とともにテープ起こしの入力革命となる。
■1982(昭和57)年
藤村氏が「日本ジャーナリスト専門学校」でテープ起こしの講座を開講。
■1983(昭和58)年
藤村勝巳著『話し言葉と書き言葉』(初版)刊行。話し言葉と書き言葉の七つの違いに触れるとともに、1次リライトと2次リライト(編集リライト)の違いについて初めて定義した。
■1983(昭和58)年
2月、「テープリライト」を造語。釜^音速記をテープリライト鰍ノ社名変更。日比谷松本楼にて披露レセプションを開催。
3月、東京速記士会理事会は、上記レセプションの招待状に「私たちは速記の時代は終わったと考えます」(=したがって「録音速記」の社名を変更した)と記載したことを不届きであるとして、藤村氏を理事解任とした。
■1985(昭和60)年
1月、「話し言葉の書き言葉化研究会」発足。龍岡・藤村氏と早稲田速記・渡辺茂氏が発起人となり、50回以上にわたって開催。『話しことば研究』を発行。
■1987(昭和62)年
藤村勝巳氏が『國文學』11月臨時増刊号「日本人のための日本語セミナ」で「話すとおりに書くと――書き言葉の特徴を生かす文章作法」を発表し、話し言葉と書き言葉の違いを提起して注目を集める。
■1988(昭和63)年
藤村勝巳氏、テープリライト且ミ長就任。
■1992(平成4)年
2月、日本記録業協会(JTRA)設立(龍岡理事長、藤村専務理事)。「テープ起こし原稿の質を保証する」活動をアピール。朝日新聞(3/1「ひと」欄)で藤村氏が紹介され、職業としての「テープ起こし」が社会的に認知される。
■1996(平成8)年
最高裁事務局の指導により、それまではソクタイプ方式だった全国の裁判記録を「テープ起こし」に変更。
■1998(平成10)年
『広辞苑 第五版』(岩波書店)に「テープ起こし」の項目が掲載される。
■1998(平成10)年
東京文化教育センター「テープ・リライター養成講座」(藤村勝巳監修)が開講。翌年にかけて数社が追随し、テープ起こしの通信教育ブームとなる。しかし、2003(平成15)年頃には一部悪徳業者による「テープ起こし詐欺」事件が社会問題化。イメージ悪化、受講者減により下火となる。
■2009(平成21)年
国会・参議院において、議事録の作成を「手書き速記」から音声聴取によるパソコン入力に変更。120年に及ぶ速記による議事録作成に終止符が打たれる。その後、衆議院も追随する。(それに先立って2006(平成18)年から速記者の採用中止、養成所の廃止等が行われていた)